三島をして「デカダンス文学の逸品」と言わしめた川端康成「眠れる美女」

  1. 軽く内容のおさらい・見所
  2. ラストシーンの解釈

内容のおさらい・見所

老人の主人公江口が、男としての機能を終えた老人向けに、眠っている女の子と一夜をすごせる(そういう行為はなし)怪しい宿に通い、

眠っている女の子を目にして自身の過去のことを振り返っていく物語。

こう語ると単調のように聞こえるが、まあ確かに内容だけで見れば単調だが、本作品の魅力はなんと言ってもその文体にあると思う。

僕には川端康成ほどの文体のセンスは微塵もないので読んでくださいとしかいえないが、言語化してみるとしたら

官能的な女性美の描写でのなかに匂う退廃的な香り、だろうか。

三島が「デカダンスの逸品」と言うだけある。

内容を冷静に考えたら、裸の老人が裸の少女と寝てるっていう、読む人が読んだら不快感を禁じ得ない作品かもしれないし、僕も最初はその抵抗感があった。

「娘たち、起きてじじいと戦え」なんていう声も(女性から)

でもその不快感を吹き飛ばすくらい文章が綺麗。言語の美しさを改めて思い知った。

ラストシーンの解釈

物語最後の、黒い娘が死んでしまうシーンについて。

結論から言うと、あの黒い娘の死は、江口の罪に対する罰でないかと僕は思った。

江口の罪と罰に分けて説明する。

まず罪に関して

江口は、本来男を引退した者が通うことになっている宿なのに、実はまだ男性としての機能を持っているなど「不正」を働いていたが、

黒い娘に対しては、宿の規則を破って電気毛布の電源を切った。

娘は強力な薬で眠らされている上に、女将さんも電源を切らないよう注意していたのだから

電気毛布の電源を切ってしまったことで彼女が死んだと考えることは可能で、

そうすると彼女を殺したのは事実上江口ということになる。

物語で語られる江口の「悪」に加え、黒い娘を殺してしまったことの罪に対する罰として黒い娘が死んだのではないか。

ではその罰とはなにか。

黒い娘に注目すると、物語で出てくるほかの女の子がどちらかといえば「お淑やか」な感じの、女々しい女性として描かれているのに対し、

この娘だけは、肌が焼けている上に油肌で他の娘と一変、女々しいというよりは男らしいという印象を全体的に感じる。

そして今まで本番行為に一度も走ったことのない江口だがこの娘に対してだけ本当に行為に及ぼうとする描写がある。

江口の性欲の対象として選ばれたこの黒い娘はしかし、死んでしまった。

これだけでも十分罰といえるのではないだろうか。

男性諸君ならこの歯がゆさは身にしみて分かるだろうが、

目の前にある、喉から手が出るほどほしいものが実は存在しなかったときの、あのむずがゆさである。

しかし僕はここにもう一つの罰を追加したい、それは江口の男としての引退である。

この黒い娘は江口の「男」のメタファーだと考えたからである。

江口が女将さんに黒い娘の死を報告した際、「お客様は余計なお気遣いなさらないで、ゆっくりお休みになってください。娘ももう1人おりますでしょう」という台詞

かなり衝撃的なのはさておき、江口にとってはそもそも性欲の対象ではないだろう「白い娘」と、黒い娘の死によって男としても死んだ江口に対して、

これ以降は宿の掟通り男を引退した状態で純粋に、娘と寝るのを楽しみなさいな

と言う風に聞こえなくもない。

もちろん女将さんが男としての江口がまだ生きていることを知っている描写はないが。

江口が白い娘を見たときの「ああ」という落胆。

それは彼が、自身の性欲の対象を失ったこと、そしてそもそも男としても死んだことに気づいたのでhないか。

この解釈に則ると、本作品全体に通底する退廃的、デカダンス的雰囲気と巧妙にマッチするのではないだろうか。

よければ、皆さんの解釈もお聞かせください

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