この記事の構成
- あらすじ・見所
- 無料の昼飯はない
- 女性が少ない社会ではどのような家族形態、価値観が生まれるのか
- 組織・大衆について
- ラストについて(ネタバレ含むので要注意)
- 最後に
⒈ 軽いあらすじ・見所
地球植民地である月は流刑地として地球から多くの囚人が運ばれてくる。そこでは地球連邦政府の下月行政府がつき世界を支配していた。
月行政府からの自由を求めて、エンジニアのマン(マニー)、自意識を持ったスーパーコンピュータのマイク、熱血革命家のワイオ、革命の実質の指導者である教授(物語ではそう呼ばれる)を中心に革命を起こす物語。
※「機動戦士ガンダム」の話の筋道の点で元ネタにもなったらしい
女性が少ない等地球と異なる環境の月世界における価値観は我々地球人の価値観を相対化させてくれる。岡田斗司夫のいう価値転換を存分に楽しめる一冊。
それぞれの登場人物の性格が如実に表現されていて、小説としての魅力もある。
目的のためなら手段を選ばない、マキャベリスト気質の教授の無政府合理主義は昨今のリバタリアン思想に深く通ずる者があり、政治思想的にも大変興味深い。
⒉「無料の昼飯はない」
本書の中で度々登場するこの概念、”There ain’t no such thing as a free lunch”(無料の昼飯は存在しない)
頭文字をとってTANSTAAFLとして月世界独立の礎にもなる概念だがどういうことか
前提として、月世界では我々地球人が普段何気なく使用しているもの(必需品含む)のほとんどが有料である。空気や水でさえもその例外にはならない。また、社会福祉という概念もない。
以上のような環境の月世界では、何かを買った、あるいは使用した者は必ず何らかの価値を差し出さなければならないという考えが普及しているので、なにかを無料で貰ったとき、あるいは無料で使用した者はそのサービスの主に対して、それと等価値かその価値以上のなにかを支払っているとする概念が自然と生まれるのだ。
この本が書かれたのは実に50年以上の前のことであるが、今の世の中を見ると、「無料」のサービスが蔓延しているように思う。地球にだって往々にして、とくに現代においてTANSTAAFLの概念が見られるということだ。
例えばYoutubeやGoogleの広告などだが、たいていの人は自分たちが「無料」で使用していると思いこんで、自分たちが差し出している「個人情報」と言う者に無頓着である(これらの個人情報からえた統計などを企業側に与えることでYoutubeやGoogleは多大な利益を得ている)。
普段何気なく使用する「無料」のサービスに対して、自分たちは何を支払っているのか考え、その代償がそのサービスに対して見合っているか検討することが大事かもしれない。同様に、「お得」という言葉にも、必ず何か裏があることを頭の片隅に置いておくとよいかもしれない。
⒊ 女性の少ない社会で起こること
流刑地である月世界には極端に女性の数が少ない。そんな月世界では女性はどのような扱いをされるのか。本作で描かれる結婚観とは。
女性は少数派であったために、そしてその数少ない女性たちを男たちはこぞって求めるために、一見逆説的だが女性が強い決定権を持つようになる。
少数派と多数派がいて少数派が多数派の支持を受けるという場合に、少数派が決定権を持つというのは考えてみれば自然なことである。
この図式は我々の住む地球でも容易に見つけることが出来ると思う。
そして月世界での結婚形態は男同士が女性を奪い合うことがないように一夫一婦制ではなく一妻多夫的な(妻も一人とは限らない)共同体を形成する。
主人公のマン(マニー)の家族は100年以上続く「家系(ライン)型」の家族で妻あるいは夫はその家族全員の合意によって新たに結婚したり離婚したりするシステムのようで、子供は共同体全員で責任をもって育てる、というもの。
アフリカなどの部族は実際にこのような結婚形態があるそうなのだが、一夫一婦制の浸透した現代人には斬新な、あるいは奇抜なものにさえ思えるかもしれないが、結婚離れや少子高齢化が進む日本でももしかしたらいずれこのような結婚形態が実現されるかもしれない。
本作を読んだ者と読んでいない者で、新たな結婚観(もし出たら)に対する抵抗は大きく変化すると思われる。
⒋ 組織について
本作では月世界での革命を軸に物語展開がすすむのだが、そのなかで革命組織の構成がいかに形成されるかが個人的に印象的だった。
彼らはA(スーパーコンピュータのマイク)を頂点に、B(マン、ワイオ、教授)、C、D…と下部組織を形成し、Bの構成員がそれぞれ3人のC細胞(構成員)をもち、その細胞もまたそれぞれ3人のD細胞を持つ、というようにアルファベットが下になればなるほど細胞の数が増えるようにした。
新たに加入した細胞は、所属する細胞名と緊急事態用の電話番号を与えられる。
その電話番号は頂点となるAのマイクに繋がっていて(マイクは月世界のすべての電話にアクセスできる)、秘密保持と情報伝達という本来相反する2つの性質を担保出来る。
末端には子供も含まれていた(正式な細胞にはなっていないと思われる)ようだが、この機密性によって革命側の情報が漏洩することはなかった。
現代ではすでに広くAIが普及しているが、近い未来こうした目的でAIが使われるようになるかもしれない(なにも革命に使うのではなく、会社などの組織でもいい。
5. ラストについて(ネタバレ含む)
物語終盤、月世界側が地球への隕石投下(これもマイクによるものである)に成功し地球側からの侵攻にも耐えた後、教授とマイクと連絡のつかなかった主人公とワイオたちは中央に戻るのだが、老齢な教授は度重なる負荷に耐えかねて亡くなる。
主人公はマイクと連絡を図るのだが、マイクからの応答は全くない。機械的な故障はないにもかかわらずである。
ぼくの勝手な推測なのだが、教授がマイクに、起動しなくなるように何らかの工作を加えたのではないかと思う(あるいはマイクに予めそう頼んでおいたのかもしれない)。
教授は物語中に自分は合理的無政府主義者だと主張しており、合理的無政府主義者とはおそらく国家や社会といった概念は存在せず、合理的な個人がそれぞれの行為に責任を持たなければならない、というようなものである。
まさに月世界らしい考え方である。
こうした考えによる者かは不明だが、民主主義国家を目指す月国家が最も必要としているものとは「ある一点を通ることでの隘路がない報道組織」であると教授は言う。
この発言はつまり、現在の月世界の報道を管理できるマイクについての危険性を述べているわけである。ある一点を通ることでの隘路とはまさしくマイクのことである。
そうした存在がいるかぎり我々は自由になれない、とかれは語る。
故に月世界独立を事実上達成した終盤の段階で、教授の意図によりマイクは消えたのだと思う。もし、ほかに違う筋があったら是非教えてほしい
これを抽象化すればそれぞれが独立した報道組織というのが民主主義には不可欠であるということである。
現代ではインターネットの普及によって確かに様々な報道機関があるが、GoogleやYoutubeなどの企業によって私たち個人それぞれが手にする情報は結果的に限定されてしまっているのではないか。
というかそもそもGoogleやYoutube、X(Twitter)などが「ある一点を通ることでの隘路」といえるのではないか。
教授の理論に基づけば、我々の語る「民主主義」も真に民主主義であるとはいえないかもしれない。
6. 最後に
結論から言うと、ただSFを読んだからといって時代の先の価値観が読めるようにはならない。
SFのなかで描かれる世界から自分たちが暮らす世界を捉え直すことで、自分たちの「当たり前」を相対化し、そうした「当たり前」の変化に敏感に気づき、迅速な対応を可能にしうるのがSFの魅力のひとつである。
ざっくりいうと柔軟な思考を手にすることができるかもしれない、ということだ。
あるいは人類社会に昔から今日まで通底しているが、意識することはなかった何らかの概念(例えばTANSTAAFL)を気づかせ、より抽象化することでその図式を未だかつてなかったものに取り入れる、というような手段にもなる。
ざっくりいうと柔軟な思考を手にすることが出来るかもしれないということ。
岡田斗司夫の「時代の先が読める」とはかみ砕くと以上のような意味であると思われる。
本作で語られるハインラインの理論が科学的に正しいかどうかはさておき、自分たちの世界を第三者目線から眺めるための、ある種の鏡として本作が有効であることは皆さんにお伝えできたのではないだろうか。
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