読書日記 3日目(8月13日)戦争と平和

1日目2日目に続き、読んでる本の内容からそれたことばかりしか書いていないが、今日もまた横道にそれる。

僕は大学の○○文藝会という毎週読書会を開くサークルに所属しているのだが、そこで毎回挙げられる本は村上春樹、安部公房、尾崎世界観などのいわゆる国内の現代文学のみである。

別にそれらの本を読まないわけでも、嫌いなわけでも興味がないわけでもないが、個人的には古典SFやヨーロッパ古典文学も十分挙げられるに値すると思っている。

そこで今回、古典文学を読む意義について語ってみたいと思う。

「ヨーロッパ古典文学とは文学界にそびえる山脈である」なんてクサイ名言は誰も残してないと思うが僕はそう思う。

少しでも読んだことのある人なら分かると思うが、ヨーロッパ古典文学を読むのは基本的にはつらい。戦争と平和で言うと、物語展開は比較的遅い割にその場その場の状況描写の量が半端じゃなく多い。

読むときはそれらの情報を頭の中で思い浮かべ想像するか物語展開の根幹となる部分のみを読み進めていくしかないと思うが、前者は集中力をなかなか維持しづらいし、後者は後者で莫大な量の言の葉の中から重要部分だけを見つけなければならず少なくとも僕にはできない。

そうした細かな状況描写の地道な作業の先に、そこでしか見えない景色を見ることが出来るのである。

戦争と平和で言えば、僕にとってはトルストイの歴史観あるいは世界観であり、哲学を真名浴びたい僕にとって、とても有用な視座を獲得できたと思っている。

地道な作業なしにそうした視座を獲得するツールは昨今Youtube,ウェブサイトなどにあふれているだろうが、そこから見える景色は美しくはあるものの、血肉化されていないものとなるだろう。

一つの作品を読むごとに、そこにしかみえない景色を、地道な作業を経る中で自身の思考的枠組みに取り込めることが大きな意義であると思う。

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